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事実と推測を切り分ける

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こんにちは、リワークに通い始めたアキです。

私が通っているところは「リカバリープログラム」という症状安定のためのトレーニングメニューがあり、主にそのプログラムを受けることにしています。

今回は、そのリカバリープログラムの私的な復習として、「事実と推測を切り分ける」ことについて書いていきます。

 

事実と推測と感情

ある出来事が起きた時、私たちはその事実に対して自分なりの色づけ(推測)をした上で感情がわきおこります。

事実とは、誰が見ても100%間違いがないありのままの出来事。

推測とは、自分の頭がその事実を解釈すること。

その結果、様々な感情がわきおこります。

 

例えば、挨拶をしたのに無視された例で考えます。

事実:ある人に挨拶をしたが、見向きもせず去っていった

推測1:聞こえていなかったんだろうか?
推測2:きっと私は嫌われているから無視されたんだ
推測3:挨拶を無視するなんて何て嫌な奴だ

感情1:まあいっか
感情2:嫌われていることがわかって悲しい
感情3:失礼な奴だ、むかつく

と、このようにひとつの同じ事実に対する、自分なりの色づけ(推測)の仕方によって、発生する感情が全然異なってくることがわかります。

この事実と推測と感情の相互作用によって、気分の動きも左右されるわけです。

 

事実と推測を切り離してみる

感情的になっている時など、人はときに事実と推測をごちゃまぜにしてしまい、ある出来事に対して一足飛びに「〇〇に違いない、むかつく!」という感情が生じてしまうことがあります。

例えば、自分の嫌いなテレビにチャンネルを変えられたとき、

チャンネルを変えられた→私への嫌がらせに違いない→腹が立つ!

と、事実と推測のあいだに間がないために、ネガティブな感情に直結してしまうのです。

重要なのは、100%誰が見ても事実はひとつであることに対して、推測は100%正しいとは限らず、様々な推測をすることができるという点です。

正しいとは限らない推測を正しいと思い込んでしまうと、関係のねじれや望ましくないコミュニケーションにつながってしまいかねません。

そのため、事実をまず事実として認識し、推測とごちゃまぜにしないようにするトレーニングが有効というわけです。

事実だけを取り出してみる

自分が不快に思った場面を思い起こして、その場面の事実と、自分がつけた色付け(推測)に分けてみましょう。

  1. 挨拶を無視された
  2. 「体重が増えたんじゃない」と言われた
  3. 並んでいたのに割り込まれた
  4. ゴミ箱にゴミが入っていない
  5. 既読スルーされた

例えばこのような事実があったとします。

1の場合、「自分は相手に挨拶をしたが、相手は反応せず通り過ぎて行った」のが事実です。

この事実に対して、色々な推測を立てることができますが、元々苛立っていたりすると事実と推測が混ざって「挨拶を無視された」ととらえてしまい、更に苛立つという感情が起きてしまう、といったことになってしまいます。

まずは一呼吸おいて冷静になり、事実だけを取り出してみて、それから色々なパターンの推測をしてみましょう。

いくつかの推測を立ててみる

「聞こえていなかったのかもしれない」
「急いでいたのかもしれない」
「嫌われているのかもしれない」
「内気な人なのかもしれない」
「相手は返答したのに自分が聞こえてなかったのかもしれない」

ここで「嫌われているのかも」という推測しか考えられないと、その後にわきおこる感情もネガティブなものになってしまいます。

事実と推測を切り分けて、更にいくつかの推測を立ててみることで、自分が腹を立てるような出来事だったのかどうかを検証することができます。

それによって、日常生活でネガティブな感情に振り回される可能性が減っていくというわけです。

 

推測は正しくなくてもいい

相手の心情を正確に理解しようとすると、感情が誰かさんに振り回されてしまい、疲れてしまいます。それに、100%正しい推測を他人が行うのは不可能です。

であれば、なるべく自分のこころの安定につながる推測をした方が良いでしょう。

挨拶を無視されても「耳が遠くて聞こえなかったのかな」と推測すれば腹が立つことはありません。

「体重が増えたんじゃない」と言われても、「心配してくれてるのかな」と推測すれば苛立ったり落ち込んだりすることも減るでしょう。

並んでいたのに割り込まれたのなら、「日本人じゃないのかもしれない」と推測することで寛大な気持ちになれます。

ゴミが放置されていたとしても、「急いでいて余裕がなかったのかも」と推測すれば、余裕のある自分が代わりに捨てておこうと考えられます。

既読スルーされたとしても「返信する時間がなかったのかな」と思うことで相手に嫌な気持ちを抱かなくて済みます。

自分のこころにとって都合のいい推測をした方が、多くの場合お得なわけです。

ただ、出来事ではなく会話の場合は、いちいち推測をいくつも立てる時間的ゆとりもないでしょうし、相手の発言の意図をより正しく受け止めた方が、スムーズに事が進みます。

私のようにASDなどでコミュ障の方は、ときどき「その発言の意図は〇〇で合ってる?」と、認識をすり合わせながら会話を続けていった方が良いでしょう。

 

というわけで、今回は「事実と推測」について書いてきました。

何かのお役に立てれば幸いです。

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